舘野まひろ『惑溺』を読む
舘野まひろ『惑溺』をいただいたので読んでいきたい。 傘を持って沈んでいくような表紙から始まる。 くちづけのあとのくちびる豆の花 まひろ くちづけのあと。くちびるにはくちづけをしたあとの感触がまだ残っている。その余韻の中でふうわりと気持ちが昂ぶるような、あるいは体温が上がっていくような感覚を覚える。どのような気持ちでくちづけをしたのか、それは本人しかわからない。ふたりの間の事柄であっても、そこでわかるのは自分の気持ちと感覚だけ。くちづけをした間は触れ合っていたのに、話すとそれはもう違う世界のようにも思える。そこに豆の花がただ、ある。 おだいじにしてね虹見て帰つてね まひろ どんな容態かはわからないけれど、相手を気遣ってかそれとも社交辞令的にか「おだいじにしてね」と声をかける。普段ならそれだけのこと。けれども今日は虹が綺麗で、その人には特別に伝えたかったのだろう。「〜ね/〜ね」の形が、「おだいじにしてね」を特別なものにしている。 水銀とろとろなんにもできなくて蝶々 まひろ 常温で唯一個体ではない金属である水銀。金属だから電気も流れるし、熱伝導も良い。水銀体温計を使っているのか、それとも水銀を使った実験などをしているのかわからないが、外には蝶がひらひらと空を舞っている。水銀の形を留めない様子にはわたしも、蝶も何もできない。 詩になれない雨はとうぜん光にもなれないけれどあなたを濡らす まひろ 雨は不思議な世界を作り出すような気がする。しとしとと降る雨は悲しみを表すし、激しい雨は怒りを表す。でも、中途半端でどうにもならない雨もあるような気がする。雨に濡れる姿は、美しくも醜くもなる。誰も好き好んで醜くなろうとはしないし、できるのであれば美しく濡れたい。でも、雨はそこにいる人を無条件で濡らしてしまう。傘を持っていても、持っていないくても。もちろん、あなたも。